ここからはじまる
投稿ツリー
-
ここからはじまる (ゲスト, 2006/7/16 20:57)
-
Re: ここからはじまる (ゲスト, 2006/7/18 22:40)
-
Re: ここからはじまる (ゲスト, 2006/7/19 0:20)
-
Re: ここからはじまる (ゲスト, 2006/7/21 14:28)
- Re: ここからはじまる (ゲスト, 2006/7/26 9:43)
-
Re: ここからはじまる (ゲスト, 2006/7/21 14:28)
-
Re: ここからはじまる (ゲスト, 2006/7/19 0:20)
-
Re: ここからはじまる (ゲスト, 2006/7/18 22:40)
ゲスト
EP1に触れ、"ヴィルヘルムこそが真のゾハル・オペレーターなのだ"と半ば確信を抱き、興奮していた頃が懐かしい。
終えてみればなるほど。彼は、むしろカレルレンに近い立ち位置のキャラだったのですね。
ゾハルのシステムに支配される事無く、ヒトが人として在るべき世界の形を望んでいた。ツァラトゥストラによる永劫回帰は、ゾハルの真の機能(決別or回帰の選択)に対する揶揄なのでしょう。分かる話です。
おかげで、物語の根幹の謎――ゾハルを作った人々の意思。そこに仕込まれたプログラムの詳細――については、果たして明らかにされぬままsagaは幕を閉じてしまった訳なのだけれど。ただ、アベルの正体が判明し、残されていた謎について考察が可能になったのは、嬉しい限りですね。
フェイ(アベル)とデウス(波動存在)との対決に、どんな意味があったのか。なぜ彼でなければならなかったのか。これで解りました。
――他の誰でもなく。"神自身"に、選ばせる必要があったんですね。人の世界と神の世界、どちらを望むか。
結局のところ。
ゾハルとは、神(波動存在)に対するトラップ。
真のプロジェクトゾハルとは、神に対する復讐。――と、いうことになるのでしょうか?
ゾハルが、本来絶対的な"個"である筈の波動存在を、雌雄二極へと分化させるための"仕切り"のような物なのだとして。――ネピリムなる、造られた対存在との相互認識を以って、神の孤独を埋めようとした――と考えれば、それはずいぶんとロマンチックな話ではあるのだけれども。
そうとするには、余分なプロセス(と犠牲)が多すぎるもの。
だとすると、前作のラスト、そして今作のそれも、悲しい。
カレルレンやヴィルヘルムの野望を砕き、未来の希望を勝ち取った――という体で終えたその世界は、依然としてゾハルの支配を受け続け……いいえ、むしろそれこそが、ゾハルに仕組まれた本来のシナリオ。人として生きるか、神として滅ぶかを選択する、定められた運命に殉じる路なのだから。永遠に。何度でも。ゾハルが在り続ける限り、繰り返される路。
ゾハルの要であろうネピリムが、ヴィルヘルムの行動を半ば認めていたのも、頷けようというものですよ。
ただ、全てがかつて(前作)の宇宙と同じ路を辿るのだとするには、ケイオスの"混沌から生まれる秩序"なる言葉が気に掛かる。彼が否定したかった秩序。それは"ヴィルヘルムのもたらす秩序"ではなく、ゾハルの施行する"それ"を指してはいなかったろうか?
一万年後。アーネンエルベの誕生する、その刻。
COS-MOSやシオンの子等が"その場所"へと辿り着いたなら、フェイやエリィらが達成できなかった悲願。こんどこそ世界は過去の呪縛を断ち、本当の未来を勝ち取ることができるのかもしれない。
――もう一度。私はそれこそをこの目で見たいと願う………。
終えてみればなるほど。彼は、むしろカレルレンに近い立ち位置のキャラだったのですね。
ゾハルのシステムに支配される事無く、ヒトが人として在るべき世界の形を望んでいた。ツァラトゥストラによる永劫回帰は、ゾハルの真の機能(決別or回帰の選択)に対する揶揄なのでしょう。分かる話です。
おかげで、物語の根幹の謎――ゾハルを作った人々の意思。そこに仕込まれたプログラムの詳細――については、果たして明らかにされぬままsagaは幕を閉じてしまった訳なのだけれど。ただ、アベルの正体が判明し、残されていた謎について考察が可能になったのは、嬉しい限りですね。
フェイ(アベル)とデウス(波動存在)との対決に、どんな意味があったのか。なぜ彼でなければならなかったのか。これで解りました。
――他の誰でもなく。"神自身"に、選ばせる必要があったんですね。人の世界と神の世界、どちらを望むか。
結局のところ。
ゾハルとは、神(波動存在)に対するトラップ。
真のプロジェクトゾハルとは、神に対する復讐。――と、いうことになるのでしょうか?
ゾハルが、本来絶対的な"個"である筈の波動存在を、雌雄二極へと分化させるための"仕切り"のような物なのだとして。――ネピリムなる、造られた対存在との相互認識を以って、神の孤独を埋めようとした――と考えれば、それはずいぶんとロマンチックな話ではあるのだけれども。
そうとするには、余分なプロセス(と犠牲)が多すぎるもの。
だとすると、前作のラスト、そして今作のそれも、悲しい。
カレルレンやヴィルヘルムの野望を砕き、未来の希望を勝ち取った――という体で終えたその世界は、依然としてゾハルの支配を受け続け……いいえ、むしろそれこそが、ゾハルに仕組まれた本来のシナリオ。人として生きるか、神として滅ぶかを選択する、定められた運命に殉じる路なのだから。永遠に。何度でも。ゾハルが在り続ける限り、繰り返される路。
ゾハルの要であろうネピリムが、ヴィルヘルムの行動を半ば認めていたのも、頷けようというものですよ。
ただ、全てがかつて(前作)の宇宙と同じ路を辿るのだとするには、ケイオスの"混沌から生まれる秩序"なる言葉が気に掛かる。彼が否定したかった秩序。それは"ヴィルヘルムのもたらす秩序"ではなく、ゾハルの施行する"それ"を指してはいなかったろうか?
一万年後。アーネンエルベの誕生する、その刻。
COS-MOSやシオンの子等が"その場所"へと辿り着いたなら、フェイやエリィらが達成できなかった悲願。こんどこそ世界は過去の呪縛を断ち、本当の未来を勝ち取ることができるのかもしれない。
――もう一度。私はそれこそをこの目で見たいと願う………。