フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

?? フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ

msg# 1
depth:
0
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 .4 .5 | 投稿日時 2004/5/31 1:01
ゲスト 
「力への意思」
「善悪の彼岸」
あと、Ⅲのサブタイトルではないかと言われている
「道徳の系譜」

「曙光」
「永劫回帰」=「混沌(ケイオス)」「ウドゥ?」

全てニーチェ関連の言葉ですよね。
「ヴィルヘルム」ももしかしたらニーチェの名前からとったのかもしれません。

 ニーチェは、理知的な秩序(コスモス)を偏重するヨーロッパの伝統に立ち向かい、自然や人間の心の深部のカオス(ケイオス)的な力がもつ創造性を重視しようとした

 ニーチェはアルプスのシルバプラナ湖畔で「永劫回帰」の覚知に達し,当時の社会に浸透していた進歩信仰や理性崇拝に反対し、生命も歴史も宇宙も力ある者も無い者も、意味も目的もなく、永遠に自己回帰を続ける、そして歴史はその永劫回帰の瞬間からなっているという思想に到達した。そしてそのような永劫回帰の中でも、生ある者は「力への意志」を求めて生きる「運命愛」を持っているという自己肯定の考え方を示し、その完全なる体現者としての「超人」を想定し、人間を動物と超人との中間の存在と位置付け、人は超人への道を歩むことによって、キリスト教的、プラトン的な奴隷道徳を超克しなければならないと考えた。


「始原の一者」「根源の存在」「世界の心臓」は時間空間および因果のうちにある経験的事実ではないから、当然それは「現象の機関およびシンボルとしての言語」によって語るべきものではなく、本来はむしろ沈黙すべきもの、あるいは一転して「歌う」べきものである。経験的事実=現象の形式である個体化の原理(時間空間および因果)が越えられるとき、人間の内奥より、また世界そのものの内奥より湧き出てくる喜悦と恍惚という性格が「ディオニソス的」なものには付きまとっていたが、過剰ゆえの苦痛であると同時に、「現象のあらゆる転変にもかかわらず不壊なる力をもち、愉悦に満ちたもの」、あらゆる文明の背後にあって不滅なるものとした。


 ここに書いたものは一部に過ぎませんが、かなりゼノサーガがニーチェの考えを基にしている事が分かります。
ニーチェを知ると、ゼノサーガをより楽しくPLAY出来ます。
エピソードⅡ発売までの間、ニーチェについて調べてみるのも面白いかもしれませんよ

  条件検索へ