宗教学の観点から、です。

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?? 宗教学の観点から、です。

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2004/7/10 6:39
ゲスト 
ゲストの 「卯月紫檀」さんからの投稿です。---

大学時代、勉強してたことですが
すでに時間がたったので若干間違いかも。東洋哲学でしたし。
なんで細かい間違いは勘弁してください。
かいつまんで書きますね。

まず、グノーシス(叡智) 英語のKnow 知の語源 主義(派)として簡単に説明すると
キリスト教では主に『性善説』がよく使われます。
グノーシス主義は宇宙(事象としての宇宙だけではなく、内なる宇宙も含む)を矛盾や悲壮が蔓延する悪と考えてます。
キリスト教では全能である神(YHVH・善)の世界支配が前提ですが
グノーシスでは、根本が悪になります。
不完全な偽の神(デミウルゴスとも呼ばれる・悪)から生まれた不完全な人間の存在
とすると、元々の『完全なる存在』がいるのか、また、『完全な世界』があるかどうか
という疑問が生じます。その二元的な違いがグノーシスがキリスト異端とよばれる元になっています。
低次元の存在(天使・アイオーンと呼ばれる)が奢り高ぶり神に似せて世と人を作った=悪の世界が出来たと考え
真の神、世界と対する悪の偽神・世界の二元、善悪二元論が生じています。
サブタイトルの善悪の彼岸もここから取られていると思われます。
プレイした感じのもろもろの事象から判断したんですが。
さて、ニーチェの「善悪の彼岸」ですがあらすじとしては
キリスト教道義の元、また民主主義政治のもとに平等化・矮小化して「無個性の群れ」として人が生かされているのは
既成の秩序や道徳であり、本来の哲学の課題はまさにこの秩序・道徳に対する反対運動の提起という感じの話です。だいぶ簡単にしてますが。

ゲームとしてのアレンジを加えられてるでしょうが、なんらかの引用がされているでしょう。

ニーチェの格言の中で気になったものをあげておきます。

怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
URTVやコスモスの事でしょうか?

人間とは神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎぬのか。
思い当たるものは多すぎます。失敗作の神、プロトオメガ(オメガは唯一神としても使われますね)

男が本当に好きなものは二つ――危険と遊びである。
そしてまた、男は女を愛するが、それはもっとも危険な遊びであるからである。(曙光より)
ラストのアルベドのセリフが思い浮かびます。

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
(権力への意思)
EP1,2通してですね。

最後に、恐らくEP3のタイトルになるであろう
『ツァラトゥストラはかく語りき』より
人間は深淵に架けられた一本の綱である。
渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。

地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気も持っている。
その病気の一つが人間である。

思わせぶりですね。

ちなみに、ニーチェの本名が
フリードリヒ=ウィルヘルム(ヴェルヘルムとも)
というのも気になります。

古いノートからの抜粋なんで現状では違ってるかも知れません。
参考になればよいんですが・・・

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